集会前日(6月28日)に東京高裁へ申し入れを行いました。
申 入 書
私は無実です。こう繰り返し繰り返し訴え続けてきました。すでに1975年1月13日の不当逮捕から27年半たちます。1994年6月20日の再審請求から数えても8年です。
はたして私の訴えは真摯に検討されているのでしょうか。私は、裁判所が真実を探求し、誤判の訂正を真摯に審理する場所であると思えばこそ再審請求に私の人生をかけています。提示されればたちどころに私の無実=真実が誰の目にも明らかになる証拠を隠し持ったままの検察官にたいして、いまだに証拠開示の命令が出されていないのは何故ですか。確定判決の正否を検証しようとすれば、避けて通れない問題ではありませんか。
私は無実です。私が、身に覚えのない「殺人犯」という汚名をすすぐに当たって、なぜ正々堂々と裁判に臨んだのか、そのわけは昨年の申し入れに際して述べたとおりですが、あらためて強調しておきます。
「当たり前のことが当たり前のこととして実現される裁判、正しいことが正しいこととして通用する裁判であれば、私の無実は判明すると信じて審理に臨みました。近代刑事裁判が到達した地平と成果をそのまま適用すれば可能なはずなのです」
至極当然の要望ではないでしょうか。ところが、これが裏切られたのです。第1審(原々審)は刑事裁判の原則に忠実に則った事実認定=無罪宣告を行ったにもかかわらず、第2審は予断と偏見を押し通して「逆転有罪」を宣告するために近代刑事裁判が到達した地平と成果をあえて踏みにじりました。そして最高裁までが職責を放棄して確定判決=誤判を容認し、自ら日本の刑事裁判を刑事裁判の名に値しない存在へとおとしめてしまったのです。
この恥ずべき過ちは改められていません。矛盾は全て私に押しつけられたままです。
第一にまったく身に覚えのない「殺人犯」という烙印を押されたままであること、それも真実の訴えを「嘘つき」として全人格を否定されたままであること、第二におよそ20世紀の刑事裁判とは呼べない水準の裁判たりえない裁判の構成者として汚名をさらし続けていること、これほどの苦痛があるでしょうか。
私は、1995年12月19日に「満期釈放」で出獄しました。けれども、一日として苦しみから解放されたことはありません。
裁判官諸氏に私の苦しみを理解する想像力を持っていただきたい、そして自ら原審に臨み、原判決を書くつもりで虚心坦懐に審理していただきたい、そうすればかならず検察官に証拠開示を命令されるに違いないと確信しています。これが私の切なる願いです。
私は決して無理な要求をしているのではありません。「誤りを率直に誤りと認めて改める裁判所のあり方こそが日本の刑事裁判を血の通った信頼できるものにし、その前提があってはじめて、『法の安定性』はその名にふさわしいものになる」と言っているのです。ぜひこの願いに応えてください。検察官にたいする証拠開示命令と再審開始・無罪を願ってやみません。
2002年6月28日
富山保信
東京高等裁判所第三刑事部御中
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