□故木下信男先生とともに横浜事件の再審無罪をたたかいとろう
3月10日、東京高裁第三刑事部は、横浜地裁による横浜事件の再審開始決定を支持する決定を行った。検察側も最高裁への特別抗告を断念した。これによって再審開始決定が確定し、再審公判が始まることになった。
まず何よりも、再審開始の確定を再審請求人各位、弁護団、そして多くの支援の方々とともに喜びたい。この勝利に向かう大きな前進は、みなさんの言葉では表現できないくらいのがんばりのたまものであり、心から敬意を表したい。
ご存じのとおり、元被告とされた方々は全員亡くなっている。「一度失われた人権の回復にはなんと長い年月を要することか」(森川金寿・弁護団長)と詠嘆せずにはいられない。しかし、それでもねばり強いたたかいはつづけられたのである。何故か、正義は実現されなければならないというつよい思いがあったからである。真実に依拠するたたたかいは、必ず人間の琴線に触れる。再審のたたかいは、後世の人々との連帯をも今日的にかちとりながら展開される普遍性を持ったたたかいである。それゆえ広範な人々の心をとらえ、物質力を発揮したのだ。真実ほど強いものはないのである。
勝利への巨大な前進がもたらされた。しかし、まだ勝利が確定したわけではない。二度と暴虐がまかり通ることのない社会の建設にむけた橋頭堡を築くために、ともに力を合わせてたたかいたい。
その思いを新たにするとき、あらためて故木下信男先生のことを想起せずにはいられない。「横浜事件の再審を実現しよう!全国ネットワーク」代表を務める先生には、私の再審実現のためにひとかたならぬご尽力をいただいた。毎月の定例会に欠かさず出席され、「こういう集まりに参加するのは愉快ですな」と語られた姿が今も目に浮かぶ。不屈に毅然とたたかわれる先生から学んだことは多い。差し出がましい言い方を許していただくならば、横浜事件の再審を実現するたたかいにおける今日の地平をかちとるにあたって、木下先生の存在の大きさ、不可欠さは、いくら強調してもしすぎることはないであろう。先生あったればこそ再審請求人、弁護団、支援が強力に団結し、一体となってたたかいぬいてこれたのだと確信できる。
木下先生は2002年6月29日の富山再審集会に参加され、「(裁判所は)富山さんの再審を開始しなければならないことを知っていながら、引き延ばしている。私も何回か富山さんと一緒に裁判所に抗議にまいりました。なぜこんなひどいことが行われているのかということに対して、一言も反論することができない。そのことからもわかると思います。
このようなわが国の再審裁判の状況を打破するにはどうしたらいいか。確かに、もっともっと富山さん無実の証拠を探して、ということが必要であることはいうまでもございません。しかし、このようにひどいわが国の再審状況を打破するためには、われわれがただ手を拱いて眺めているだけではだめだろうと思います。で、どうしたらいいか。再審裁判の開始を求める運動を、全国的に、あらゆる人々と手を組んで広めていくより他に方法はないだろうと私は考えております。こういう方向に向けて、皆さま方のお力添えをぜひお願いしたいわけでございます」と発言された(「かちとる会ニュース」167号参照)。この鬼気迫る執念が横浜地裁の開始決定を引き出し、今回の再審開始確定につながった。この執念に学びたい。先生は亡くなる1ヶ月前の定例会に見えられ、これが今生のお別れになった。心から感謝するとともに、先生の遺志をひきつぎ、まっとうするために全力でがんばりたい。
さて、賢明な読者はお気づきであろうが、「東京高裁第三刑事部」とは私の再審請求の棄却決定を行った裁判所である。横浜事件の再審開始決定(正確には横浜地裁の再審開始決定に対する検察側の即時抗告の棄却決定)と、私の再審請求棄却というこの落差は一体どういうことを意味するのだろう。少し考察したい。
高裁決定は、小田中聡樹教授が「拷問による自白の信用性に疑いがあるとし、再審理由に当たるとしたことは当然の判断だ。治安維持法がいつ失効したかという問題の前に、特高警察のすさまじい拷問によるフレームアップこそが、事件の核心だった。そこに正面から目を向けた」と指摘されるとおり、よい決定である。このことは、しっかり確認しなければならない。
では、中川裁判長は見識ある裁判官であり、「勇気ある決定」を行ったと手放しで評価できるのかといえば、けっしてそうではない。異議ありである。
横浜事件がフレームアップであることは、識者の間ではすでに常識であり、このまま再審請求を拒否しつづけるにはあまりにも無理がある。横浜地裁の再審開始という決定によって横浜事件はフレームアップだという世論が形成され、大勢が決してしまった。再審開始という決定を覆し、横浜事件はフレームアップという世論にたちむかうことを中川裁判官は躊躇したのだ。つまり、中川裁判官は「裁判官は世論に敏感」(松川裁判や八海裁判での正当な裁判批判に対する田中耕太郎最高裁長官の「雑音に耳を貸すな」とは、いかに裁判官が世論を気にするかの自白にほかならない)であることを実証して見せたのである。
この現実をリアルに見据えよう。たとえ中川裁判官のような裁判官であろうと、広範な人民の不正義を許さぬ包囲と監視があるなら正しい結論を出させることが可能であることが実証された。東京高裁中川コートが示した落差は、それ以上でも以下でもない。倦まず弛まずたたかいつづけるならば、必ず真実は勝つことを教えているのである。
富山再審・無罪にむけて異議審闘争をがんばろう。
これからもよろしくお願いいたします。
(富山)
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