なぜ冤罪は繰り返されるのか
福岡事件と富山事件(その1)
三月二二日に行われた富山再審集会で
の浜田寿美男先生の講演を三回に分けて掲載します。見出しは編集者の責任でつけさせて頂きました。
みなさん、今晩は。奈良女子大に勤めています浜田です。
時間の方は最初は一時間ということだったんですが、八海事件の元被告の阿藤さんが今日来られないということで、私の方で自由に使ってくださいと言われましたので、一時間半を上限にお話をさせて頂きます。よろしくお願いします。
今、紹介頂きましたけれども、私は大学での本務は心理学で、なかでも子供の心理学が専門です。大学に付属の幼稚園から小学校、中学校、高校と全部あるんですけれども、私は今、幼稚園の園長もしているという立場の人間です。こういう刑事裁判の仕事と本務の仕事は違っていまして、私の周りの人達も、子供の問題とか、発達の問題だとかいう人間が、なぜ刑事裁判というようなどろどろした仕事をしているんだと言われるんですけれども。
刑事裁判に関わるきっかけ
甲山事件というのがありまして、知的障害児の入所施設で、二人の園児が行方不明になって、その後、その学園の浄化槽から溺死体で見つかったという事件がありました。実際は事故だったのですが、それが殺人事件だというふうに警察の方が認定してしまったために、捜査が進められて、その学園の職員、二十二歳の保母さん、今でいう保育士さんが疑われて逮捕され、自白をさせられて、一旦不起訴になったんですけれども、再捜査になって四年後に裁判になったという事件です。
この事件で、この学園で一緒に生活をしていた子供達の、先生が連れて行く所を見たという目撃供述が出たということで、殺人罪という形で争われたわけです。子供達の目撃証言をどこまで信用していいのかというようなことが最大の争点になった事件です。知的障害児の目撃供述ということで、弁護士が対応しきれない、子供の発達とか、あるいは障害の問題を専門にしている人間に協力してほしいということで、たまたま私の知り合いがいたものですから、私の所に協力要請があって、それで刑事裁判にはまってしまったというのが経過です。
それが一九七四年の事件でしたけれど、裁判になったのが一九七八年で、子供達の目撃証言がいよいよ法廷で、証言台に子供達を立たせて審理が進んでいくという段階、それが一九七九年。一九七九年に裁判に関わり始めました。
そういうことをきっかけに、子供の発達ということを専門にしながら刑事裁判というものにはまっています
無罪をかちとるまでに二五年
ご存知のように刑事裁判というのはなかなか決着がつかない。冤罪というのをなかなか裁判所が認めない。甲山事件も一九七四年の事件で、一九七八年に裁判が始まって一審は無罪です。一九八五年に無罪が出ました。しかし、大事件でしたから、検察側は面子をかけてやるということになりますから、控訴しました。
控訴審で有罪判決は出なかったんですけれども、一審の審理では足りないのではないかということで、もう一度地裁でやり直せという判決になりました。それに対して弁護側は上告したのですけれども認められなくて、結局、やり直しということになって、やり直しの二回目の地裁判決も無罪になったんですね。これが一九九七年。その後、また検察が控訴して二回目の控訴審、それが終わったのが一九九九年。これも無罪で、検察側の控訴棄却。甲山事件は一度の有罪判決をもらわなかったのですけれども、最終は一九九九年、これは検察側の控訴棄却ということになりましたが、この時にはもう検察も上告しなかったんです。放棄をせざるを得ないということで。
一九七四年に起こった事件が、決着がついたのが一九九九年、事件から二五年かかった。無罪を勝ち取るのにこれだけの時間がかかるということを実感させられました。
その時に終われば、私もそれじゃまたということで済むんですけれども、終わらない。裁判だけで二一年かかっているわけです。それにずっとおつきあいさせて頂いた中で、他の事件も相談を受けるようになって、いよいよ抜けられないという状態です。泥沼の世界みたいに、ちょっと足を突っ込んだら、ぬかるみですから、すぐ膝ぐらいまでは来るんですね。ちょっとやっているともう腰位までに、だんだん胸まで来て、首まで来て、私はもう沈んでいるじゃないかと思うくらいにどっぷりはまってしまっているという状態です。その間、いろいろな事件の依頼があり、やってきました。

富山再審で鑑定書を提出
富山事件もそのひとつです。話があったのは、一九九〇年に入ってからじゃないかと思うんですけれども。鑑定書を書きましたのが一九九四年。この緑色の冊子(プログラム)を眺めていてずいぶん時間が経ったんだなと思っていたんですけれども。一九九四年の六月に再審請求をして、その時に鑑定書を出したんですね。それが二〇〇四年に棄却決定。ずいぶんかかりますよね。一〇年かかって棄却決定が出て、私の鑑定書に触れていたのはほんの一、二行じゃないかと思うんです。全く入れられない形で。それで、改めて棄却決定に対する反論という形で意見書をその年の一二月にもう一度出しております。
門野博裁判長と名張毒ぶどう酒事件の再審取り消し
本当に時間がかかっているということと同時に、あちこち因縁があるなという目で見ていたんですけれども。例えば異議審で三人目の裁判長ですか、二〇〇七年の五月に門野博裁判長という今の裁判長に変わっています。この門野博裁判官というのは、名張の毒ぶどう酒事件の再審開始決定が一旦出たのですが、それを検察側が異議申立したことで、異議審で再審開始決定が取り消されたんですが、その決定を出したのが門野博裁判官。それが二〇〇六年の一二月の年末、二六日くらいです。この門野裁判官というのは、刑事裁判の中では評判のいい人で、比較的期待できるとされていた。再審開始決定のように、異議審も検察側の異議申立を棄却して開始するのではないかという弁護団の期待の中で、門野博裁判官は開始決定を取り消すという決定をします。その人が名張事件の開始決定取り消しの後、転勤で東京高裁に来て、この富山事件を担当することになったということです。
この名張毒ぶどう酒事件というのは一九六一年の事件で死刑確定事件です。もう八二歳になるのかな、奥西さんという方が今、獄中にいるわけです。一審は無罪判決が出たのですが、二審で逆転有罪で死刑判決。五人の方が農薬を混入されたぶどう酒を飲んで亡くなっている。今の量刑からいうと死刑もやむを得ないという事件ですけれども、本人はやっていないと主張している。しかも一審は無罪だった事件です。
一事不再理という、一旦、刑が確定すればもう一度同じ危険にはさらされないということですが、今、ロス疑惑の三浦さんの件でテレビなどで耳にされていると思います。日本の刑事裁判の場合は、一審で無罪が出ても、検察側の控訴が認められています。検察側が控訴してもう一度やり直すみたいなことが、事実上なされている。一事不再理というのを原則的に言うと、検察側の控訴は許されないというのが本来だと思うのですが、一審無罪判決をとれても、検察側が控訴してもう一度チャンスを、検察側からするとチャンスを持ってしまう。冤罪事件の大きなネックが検察側控訴なんですが、その意味で、この名張毒ぶどう酒事件、逆転有罪で死刑になったという、無罪から死刑になったというのは戦後唯一なんですね。奥西さんは、この事件で有罪判決をもらって以来ずっと獄中にいるわけです。
私も鑑定書を異議審の段階になって提出したのですが、その異議審で門野博裁判長が開始決定を取り消した。その決定の中で、私の鑑定書を相当取り上げているんですね。一〇ページを割いて反論をしてくれた。反論してくれたと言いたいのですが、反論してくれると裁判官がどう考えているかよくわかるので。一〜二行で書かれたらさっぱりわからないですよ。無視されたに等しい状況です。その意味では門野決定は、私にとってはありがたかったのですが。それへの反論を書いてほしいということで、今年の二月にそれを仕上げて最高裁に提出しました。そういう因縁があります。この富山事件の異議審でも、私、意見書を書いていますので、門野博裁判長の目に触れることになるのかなと思っておりまして、どう判断下すのか興味深いなと思っています。
あれこれと因縁がありまして、富山事件も目撃者の供述ということで、専門の子供とか、障害とか一切関係ないのですが、目撃供述をどう見るのかということで、一四年前に鑑定書を書いたわけです。ここ、きゅりあんで話をさせてもらうのも三回目ということになります。久しぶりにこの集会で話をさせて頂くことになりました。久しぶりと言っても八年ぶりですね。
(次号に続く) |